日本の金価格は、海外のドル建て金価格と為替相場(ドル円レート)の変動によって価格が変化しますので、日本の投資家にとっては両方の相場を読まなくてはいけないので、価格を予想することは大変難しい。

  仮に海外の金価格が600ドルで、為替レートが110円の場合、海外の相場が1ドル上昇し、為替レートが同じだった場合は、日本の金価格は約4円上昇します。一方、海外相場が変わらないで、為替レートが1円円高(109円)になった場合は、日本の金価格は約20円安くなります。逆に1円円安(111円)になれば、海外相場が同じでも日本の金価格は約20円上昇します。したがって、海外相場が1ドル上がっても、1円円高になれば日本の金価格は逆に約16円安くなります。

  このように、日本の金価格は為替レートの変動に大きく左右されますが、金価格(ドル建て金価格)そのものを動かす要因としては、政治的要因や経済的要因が複雑に絡んできます。

  「金」も商品なので、通常は供給と需要の関係で価格が決まることにかわりませんが、上げ要因と下げ要因を要約すると以下の通りとなります。

 <上げ要因>  <下げ要因>
供給不足 供給過剰
生産コスト上昇 生産コスト低下
戦争等政情不安 世界的平和
インフレ(原油高) デフレ(原油安)
低金利 高金利
ドル安 ドル高
円安(日本) 円高(日本)
株安 株高
中央銀行の購入 中央銀行の放出
生産者ヘッジ(戻し) 生産者ヘッジ(売り)
経済・金融不安 経済・金融安定



  将来の金価格を予想することは大変難しいのですが、過去において価格が大きく変動したことに対して、なぜ上がったのか下がったのかの要因を分析することはできます。

  この場合でも、ドル建て金価格と円建て金価格では、前述したように円建て金価格は為替レートが絡んできますので変動要因が異なる場合もあります。

  日本では、1973年(昭和48年)の3月までは、「金」の輸出入は禁止されていましたので、輸入自由化(昭和48年4月)直前の金価格は1グラム660円の公定価格となっていたため、市中では690円近辺で取引されていました。海外では1968年3月に金プール機構が中止され、「金二重価格制」が採用され、1オンス35ドルの枠ははずれていたものの、当時の自由金市場の価格は35ドルから40ドル近辺でありましので、日本の金価格は海外の価格より高かったのです。

  日本の金価格は、1973年4月の輸入自由化により、公定価格が廃止され海外の相場にスライドして円建て金価格が決められるようになりました。

  輸入自由化から34年が経過していますが、その間に上記に挙げた上げ要因や、下げ要因が絡んで、ドル建て価格や円建て価格が大きく変動した場面が、何回か生じています。以下にその主なものを紹介し、なぜ価格が大きく変動したのかの要因を分析してみます。


   史上最高値 ドル建て850ドル円建て6,495円を記録した1980年1月21日

  前年(1979年)の1月の高値は、ドル建てで236.10ドル、円建てで1550円だったので、1年間にドル建てで3.6倍、円建てで4.2倍という凄まじい上げでした。

  この背景には、上記した上げ要因のほとんどが絡んできますが、前年にソ連がアフガニスタンに軍事介入をしたことにより、中東石油地帯への懸念が発生し、アメリカも周辺に空母を回航させるなど、大きな政情不安が発生し国際的な緊張が高まったことが最大の要因であります。この当時は、アメリカとソ連の冷戦状況下でもありました。

  また原油価格の高騰により世界的なインフレ状況下にもあり、ドルの価値も目減りする一方で、オイル諸国は原油を売却して受け取ったドルの目減りを防ぐために、「金」を買い漁りました。

  「有事の金」として買われたましが、この時の状況は、まさに「金」のバブルでありました。


   中南米債務危機(金融不安)による急騰 1982年9月

  1980年1月に金価格は最高値をつけた後急落し、1982年3月にはドル建てで300ドル、円建てで2500円を割り込む価格まで下降しました。ところが、この年の8月に中南米に端を発し、世界的な金融不安が勃発しました。政府の保証をとっておけば「国家は破産しない」と信じていた各国の銀行が、ブラジルやメキシコが破産寸前に至り大きな危機を迎えたのです。自国の通貨が危ないとみた人達が金買いに動き、9月にはドル建て488.50ドル、円建てでは円安も手伝い4220円と僅か半年の内にドル建てで約190ドル、円建てで1500円以上の値上がりとなりました。

  日本でもペイオフ解禁に伴って金ブームが起こったのも、同じような要因からです。


   株価の暴落 1987年10月 ブラックマンディ
             日本でも株から「金」への流れ
 

  ニューヨーク株式市場の動向とドル建て金価格は、通常逆の動きをすることが過去の常識とされています。つまり、株が下がれば、ドル建て金価格は上昇するというパターンです。しかし、円建て金価格は、ニューヨーク株式の値下がりにより為替レートが円高に繋がることが考えられますので、必ずしも上昇するとは限りません。

  1987年10月19日のブラックマンディ当時、日本でも、一般投資家の株から「金」への流れが目立ちました。


   ドル急落 1995年4月 1ドル=79.75円
             円高で円建て金価格1000円ギリギリまで下がる
 

  1985年9月のプラザ合意までは、ドルに対して円は240円近辺であったものが、年を追うごとに円高に推移し、10年後の1995年4月には80円割れまでの円高となりました。ドル建て金価格は380ドル台を堅持していましたが、円建て金価格は円高の影響で、1070円と1000円ギリギリまで下がりました。


   中央銀行金放出ラッシュと金鉱山会社売りヘッジ 1999年9月
             ドル建て金価格 252.80ドル、円建て金価格 917円  
             (1980年史上最高値後の最安値)  
             中央銀行金売却を抑制・・・ワシントン協定


  「金」にとっては、1980年1月がバブルの絶頂期であり、それ以降から金価格は下降に向かい、1990年代はまさにバブル崩壊の期間でありました。

  90年代金価格を下落に導いた要因は、91年にソ連の崩壊という大きな政情的不安が取り除かれたことが背景にありますが、最大の要因は中央銀行の度重なる「金」売却と金鉱山会社が大量(年間の生産量を上回る量)の売りヘッジを行ったことであります。

  ベルギーやオランダの中央銀行が売却した量は、何回かに分散はされたものの約1500トン、それに金生産国であるカナダやオーストラリヤの中央銀行までが金売却を行い、さらに追い討ちをかけたのがイギリスでありました。1999年5月にイギリス大蔵省はイングランド銀行が保有している公的保有金715トンのうち415トンを売却すると突然発表しました。

  このニュースは、市場関係者に大きな衝撃となり、金価格は当日だけで10ドル近く暴落し、実際に入札が始まった7月には30ドル近く下げ、8月25日はついに252.80ドルと1980年1月21日の最高値 850ドル以降の最安値を記録しました。為替レートの関係で、日本ではその1ヶ月後の9月17日の917円とこちらも最安値を記録しました。

  この下げ基調を食い止めたのが、この年の9月にワシントンでヨーロッパの15の中央銀行(フランス・ドイツ・イタリア・オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・スペイン・ポルトガル・スウェーデン・フィンランド・アイルランド・オーストリア・イギリス・スイスと欧州中央銀行)が発表した「ワシントン協定」でありました。

  「ワシントン協定」の骨子は、「今後の売却量を15カ国合計で年間400トンまでとし、参加中央銀行は5年間で総売却量は2000トンを上限とする」というものでした。


   米同時多発テロ事件 2001年9月 金価格上昇パターンへ
             2003年ドル建て金価格400ドル突破、円建て金価格1500円突破  
             (ドル建てで7年ぶり、円建てで11年ぶりの高値)
 

  米同時多発テロ事件の発生した2001年のロンドン金市場の金価格は、9月以降上昇したものの年平均価格は279.91ドル(円建て 1105円)でありました。

  それが、この事件が引き金となって金価格は上昇パターンに入り、2002年には300ドル台を回復し年平均価格は309.07ドル(円建て 1297円)、さらに2003年2月には円建てで11年ぶりに1500円を超え、12月にはドル建て価格でも7年ぶりに400ドルを突破し、年平均価格は363.58ドル(円建て 1399円)となりました。




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